『 第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界 』 傳田光洋 著
傳田先生の二冊目。
相変わらず読んでいてワクワクする。
皮膚は外側にある臓器である。
傳田先生が発見した表皮こそが皮膚感覚の最前線である、という理論がおもしろい。
触る、触られる、温度、圧力を感じる、ふつうに知られている皮膚感覚の機能以上に、
私たちの皮膚が受け取っている情報の多さよ。
表皮は古くなれば剝がれ落ちて絶えず新しく入れ替わっているのに、色や、電気信号、また刺激に対する快や不快といった認識まで、神経ではなく皮膚の最前線で行われているというのにびっくり。
そう、でも確かにそうじゃないと生き延びられないね。
解剖学者の三木成夫先生の本を一時期はまって読んでいたけれど、
傳田さんの視点からまた解釈を知ると、専門外の自分の理解をはるかに超えていて、もうほんとに自分は牛歩、ちょっとずつすこしずつだけど、こうして新たに知識の密度が増していくのが楽しい。
最後に書かれていた、
目で見た世界では説明がつかないことが、皮膚から考えると理解できる
研究者として定めた軸を真摯に守りつつ、皮膚の未知なる世界へどんどん突き進まれていて、
芸術や、鍼灸といった代替医療なども好奇心をもって研究のアイデアにされてらっしゃるところがすごいなと思った。
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映画 『 ピーターブルックの世界一受けたいお稽古 』
偉大な演出家、ピーター・ブルックの2週間に渡るワークショップに密着したドキュメンタリー。魔術的と称される演出家が、第一線で活躍する俳優やダンサーたちに演技指導をしていく。
静かな語り口のなかに散りばめられた、彼の人生哲学と、5台の隠しカメラが捉えた、参加者たちの変化が見どころ。
ピーター・ブルックの演技指導では、かならず絨毯が使われるのだそう。
おおきな絨毯の上は、彼の結界のようなもので、例え稽古場がどこであっても、区切ったそこのなかにいつもと同じ空間をつくる。
参加者たちは、まず綱渡りをさせられる。
絨毯の上にロープが張られていると仮定して、そのロープの上を好きなように歩いて進む。
想像力を駆使する作業で、体に信じ込ませないといけない。不安定な揺れるロープの上を、どう歩くか。
抜群に上手かったのが、舞踏家のシャンタラ。
映像でアップになると、ゾクッとするほど神経が研ぎ澄まされていて鳥肌が立った。
深い絶望を、髪をほどく動きだけで表したときは緊張感で息を詰めた。
内面の動きは見えないのだけど、舞台を観る人にはそれが赤裸々に伝わる怖さ。それをピーター・ブルックは熟知しているし、ワークショップに参加したプロの俳優たちも理解している。
じゃあ、表現者としてどのようにその壁を乗り越えていくか。
とくに特別なことを言うわけではないので、哲学書を読めばきっと同じようなことが書いてあるだろうけど、
すごいなと思ったのは、ピーター・ブルックの観察力で、隙を見せたらザクッと切られそう。
演じることから、如何に離れるか。
力みも深読みも、心の動きも見透かされてそうで、直接に指導を受けたらきっついだろうなと思った。
優しそうなおじいちゃんなんだけどね。
俳優のヨシさん、音楽家の土取さんは味わい深い魅力があって素晴らしかった。
土取さんは素晴らしい名脇役。
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映画 『 ザ・ウォーク 』
1974年、ワールド・トレード・センターで命綱なしの空中綱渡りに挑戦した、フィリップ・プティの著書を実写化した実録ドラマ。
友人と、早稲田松竹 に観にいった。
フィリップ・プティの回想シーンがあるので落ちてないことは分かるのだけど、
足の裏からじわじわと汗が吹き出てくる。
高所恐怖症の方は耐えられるか分からないけれど、この綱渡り一見の価値あり。
まだ成し遂げたことがないものへ、大いなるチャレンジする人たちは、皆、「 自分自身の扱いが難しい 」と、弱音をもらすのではないか。
突き進むフィリップの葛藤や信念と、共犯となった仲間たちとのやりとりも見所。
地上411m の高さを無許可で綱渡りする、その目的がぶれないので、
そこへ行けばいい、その過程でアクシデントが起きても違う道筋を見つけて進む、
その意思の強さは、誰かが容易く扱えるものじゃないから孤独になるのは仕方ない。
アニーの決断もすこし分かる。
ひとつの終わりをみてしまったあと、とらわれずに共に生きていけるのどうか想像したのでは。役割のおわりを納得したらもうそこにはとどまれない。
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ハリネズミのいる生活
寝相がたまに、
ペチャーとしてる。
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映画 『 しあわせへのまわり道 』
売れっ子の書評家ウェンディの順風満帆な人生は、夫の浮気であっけなく崩壊した。
運転してくれていた夫が出て行ったので、車に乗れない現実に直面したウェンディは、
インド人運転手ダルワーンのレッスンを受けることに。
宗教も文化も階級も違うダルワーンとの出会いで、
すこしずつ自分の人生を取り戻していく女性の物語。
パトリシア・クラークソンが美しかったので、これも観てみた。
今回は下ネタも飛ばすし、ストーリーも気楽に楽しんでみれるもので、
うん、なんだか良かったね、と観おわった後に思う。
インド人でターバンを巻いているのはシーク教徒の方、
宗教による結婚観の違い、夫婦も違う人間同士で、
色々な諍いは起こるけれど、歩み寄っていくための素敵な会話がでてくる。
ダルワーンは、ガンジー を演じた ベン・キングズレーだった。
二人の名優が素敵な映画。
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映画 『 ナショナルギャラリー 英国の至宝 』
「 われより哲学を学ぶべきにあらず、哲学することを学べ 」と言ったのは、イマニエル・カント
私たちは欲求を捨てきれない、とくに知識欲は際限がない。
幼児が転んでも転んでも立ち上がり、
触れるものを手当たり次第に舐めては確かめ、
つま先立ちで人だかりの向こうを覗こうとする気持ちと同じ。
遠くを見つめる目というのは、動物のなかでも人間特有の視点らしいのだけれど、
高く空を飛び、深く海に潜り、生き物を解剖し、宇宙の果てまでも覗こうとする、
これも人間の知りたい欲求の成せるわざで、
英国のナショナルギャラリーに勤める人々は、
その目を、一枚一枚の絵に向けている。
この絵が、どの時代の、どういう部屋に飾られていたのか、窓からの明かりが、一日を通してどのように絵を照らしていたのか、
絵を所有した人物、描かれた人物、宗教、画家の哲学と、想い、どういう経緯でこの美術館にたどり着いたのか、
もうね、すごいの一言。圧倒される。
修復師の仕事を見れたのはおもしろかった。
修復師のラリーは、絵について熱っぽくずっと喋っていた。
ちょっと頑固な館長ニックがいい味を出していて、
集客や利益よりも、品格、信念、芸術への愛とリスペクとがあって好きだった。
素晴らしい絵をより多くの人に見てもらいたいという気持ちを、関わる人全てが持っている、
どのように今後ナショナルギャラリーを運営していくのか、討論してぶつかる。
妥協点を探る。そこもひとつの見所。
学芸員の方のレベルが素晴らしいのだけど、
とくに写真のこの女性、この方の絵の捉え方、伝え方、語り方がすごく胸に響いた。
素晴らしい絵がたくさん映し出される。
いつか足を運んで絵を観にいきたいけれど、とりあえず、繰り返し見るためにDVDを買った。
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映画 『 アデル、ブルーは熱い色 』
La vie d'Adèle. 3 hours in 3 minutes.
教師を目指す高校生アデルは、運命的に出会った画家エマに魅了され、
情熱的に愛し合うようになる。
数年後、念願の教師になったアデルは、アデルをモデルに絵を描くエマと一緒に住み、
幸せに満ちあふれた生活を送っていた。
しかし、エマの作品披露パーティーをきっかけに、少しずつ二人はすれ違っていく
『ミッドナイト・イン・パリ』 の、パリの本屋のお姉さん、
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』 の女殺し屋、
『美女と野獣』の美女 、
そして、『007 スペクター』 の、ボンドガール
レナ・セドゥの顔と雰囲気がすごく好きで、
ストーリーにはとくに惹かれなかったんだけど、借りてみた。
すごくいい映画だった。
女の子同士の本気なセックスシーンが話題だったそうで、
好きな人を見つめる、戸惑う、揺れる、ふとこぼれ落ちる自然なアデルの表情がとても魅力的だった。
たまたま好きになった人が女性だったというアデルと、根っこからレスビアンのエマの、細かいズレの描き方も丁寧で分かりやすかった。
印象に残ったのは、
アデルが、画家のエマ(レナ・セドゥ)と別れるところ。
アデルはあまり感情表現が豊かな方ではないんだけど、もう心の底から悲しんで泣くもんだから、
後悔も寂しさもごちゃ混ぜで嗚咽しながら、泣きながら街を歩くところとか、
ぐっときた。
綺麗な人
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